新春ワンマンショー
年明けにスカートのワンマンライブに行った。数ヶ月前に文化祭ライブに行って以来だ。しかもちゃんとチケットを予約して聞きに行ったのは実に半年ぶりだった。
池袋のビルの地下2階にライブハウスがあった。以前文化祭ライブを見に行ったときは前から2列目のところに立ってしまい、周りのアップテンポなノリについていけない自分のリズム感の無さに吐き気をもよおしたのが記憶に新しかったので、あんまり前の方じゃないけどちゃんとバンドマンの演奏する姿が他の客と客の頭部の隙間から見えるような絶妙な位置で見てやろうと僕は心に決めていた。
お笑いの劇場にはよく足を運ぶのだが、それとライブハウスが決定的に違うのは座席がないところだ。お笑いの劇場は劇場というだけあって、映画館のように必ず指定席または自由席が用意されている。この場合開場してから開演するまでその自分の椅子の上で過ごすことができる。
しかしライブハウスは劇場ではない。「ハウス」である。ぼくが部屋に入ったときにはすでに数人の客とバンドマンがいて、そこがまるで親友の家のリビングだとでもいうかのように弛緩した表情でくつろいでいた。悠長にタバコを吸っている者さえいる。ちょっとした画廊くらいの大きさの薄暗い部屋の中、右側の壁沿いのいくつかの椅子にお客さんが鎮座し、左側に設置されたソファーなどには演奏者たちが腰を据えて、僕の全く知らない音楽の話で和やかに盛り上がっているではないか。正面は段差のないステージ。後方はお客さんの列。四面楚歌だ。真ん中にいるしかない。
今度初めてインディーズライブ的なところに行こうとしている人がこれを読んでいたら、あなたにはそこに居場所が用意されていないことを教えておこう。逆にインディーズライブに1回だけ行ったことがあって、今度教育実習に行くことが決まっている人がこれを読んでいるならば、朝のホームルームが始まる前はインディーズライブが始まる前と同じようにそわそわした気持ちになることを告げておこう。
1人でライブを見にきている人ももちろん何人もいて、僕を含めた孤独な歩兵たちはドリンクを片手に所在なく立っていなければならなかった。つり革につかまることもできない。もちろんここは電車内ではないが、揺れる車内でどこにもつかまるところがないような微妙な位置に立ってしまったときの心の不安定感と似ている。
ライブに来るのには慣れているのであろう、ある1人の女性は1番前の右端の壁に寄りかかって携帯を眺めていた。なるほど、そこなら角度的にバンド全体が見渡せるし、後ろの客のことも全く気にせずにライブを楽しむことができる。ワンドリンクで頼んだカシスソーダを1分間隔で少しずつ減らしていくことでしか時間を潰すすべを持たない僕とは経験値がまるで違う。僕はとりあえずこのまま立っていれば3、4列目くらいにいられるだろうという位置を決め、開演時間まで東京の若者たちの会話に耳を傾けることにした。
しばらく待っているとすぐ後ろに1組のカップルが来た。開演までお客の大方は結構な声量でおしゃべりをしている。後ろのカップルもその例にもれず、恋人たちのリアルな日常会話が否応なしに僕の耳に飛び込んできたのだ。「うわー、理論武装してきた」というセリフが印象に残った。男の方だ。彼女がどんな理論武装をしてきたのかが非常に気になったけれど、残念ながら聞き逃していた。そうこうしているうちにライブが始まった。
まずはスカート澤部氏によるギターの弾き語り。ライブの詳しい内容については筆舌に尽くしがたいところがあるので割愛するが、自分が普段あまり積極的に聞くことのない「本を読もうよ」の良さに気づいたということだけは書いておきたい。
弾き語りが終わると休憩を挿んだのちにバンド演奏が始まったわけだが、そこへきて僕の立ち位置が魔の2列目に近づこうとしていた。しばらく3列目にいたわけだけど、僕の左斜め前にいた女性がじわじわと最前列に入り込んでいったことで、2列目に空きができてしまったのだ。自然にいって僕の左隣りの人がそのまま前に詰めれば話は簡単なはずだが、隣りの若い女性はそのまた隣りにいる友達と2人で来ているらしく、全く動く気配が無い。割合的に僕が3分の1真後ろ、といった位置だったので、将棋の桂馬みたいなちょっとトリッキーな動き方をすれば前に行けないことはなかった。
しかし僕は2列目には行かないと最初から心に決めていたのだ。前に行ったら恥をかくだけだ。最前列には猛烈にノリノリなサブカル系女子の姿。しかもノリ方にいやらしいところがない。完全に自分の感性を信じ、自らのセンスに自信を持っている者にしかできないどこか抜け感のある自然な動き。もし僕がこれ以上前にしゃしゃり出たら、あの女子と僕との「動」と「静」、あるいは「光」と「闇」の対比がシルエット的に強調されてしまうだろう。ここは大人しくしているべきだ。もう下を向こう。僕は足の指先で懸命にリズムをとった。まるでそうすることがバンドマンに対して最大の敬意表明であると勘違いしている人のように、僕は誰も見ていない靴の中で、両足の指先を精一杯動かしていた。
数分後、「音楽を楽しむことはもちろん、自分も一介のベーシストとして他バンドのベースプレイを研究している」という印象を周囲に与えるため、ベーシストの指先の動きを時おり注視するように目を細める、2列目に押しやられた全くベースなど弾くことのできない桂馬がいた。
by msk_khr
| 2013-01-09 23:56
| 日々のこと