トレモロについてのはなし⑥
「トレモロ」について。
本のタイトルを「トレモロ」という言葉に決めたあとに作った作品です。表題作として、本全体の雰囲気を象徴するようなものをと思い書きました。
「トレモロ」を作ってから「トレモロ」という言葉を頭の中で言いすぎて、ゲシュタルト崩壊ぎみになってしまっています。もはや自分の名前と同じくらいに「トレモロ」に愛着を感じています。たぶん今ここで「トレモロ」を連発していることで、これを読んでいるあなたも「トレモロ」が「トレモロ」に見えなくなってき始めているのではないでしょうか。ここまでの6行足らずのあいだに「トレモロ」が8回も登場しています。ぼくは「トレモロ」という文字を見るだけでなく心の中で唱えまくっているので、脳内が「トレモロ」でいっぱいになってしまいました。気が狂いそうです。「トレモロ」の飽和状態です。もう「トレモロ」を知る前の自分に戻ることはできないでしょう。
「2012年5月15日のドローイング」について。
これは入れるか迷ったのですが、表紙絵にもなっているし、絵自体がかなり気に入っていたのでおまけのような感じで載せておきました。モノクロ印刷で原画の雰囲気は著しく損なわれていますが、それは視覚芸術における逃れようのない運命ですから、むしろ異なるイメージを楽しもうと思っています。原画はここにありますが、今見ると少し鮮やかすぎて、むしろ表紙の印刷くらいに色が沈んでいる方が自分としては好みだったりします。
気付いた方もいるかもしれませんが、2012年5月15日〜17日のドローイングが3日連続で「トレモロ」に採用されています。これは意図して選んだわけではなく、たまたまこの辺りに「トレモロ」のイメージにぴったりくる作品が続けて描けていたのです。おそらくその頃のぼくは何かしらの作品の影響を受け、かなり「トレモロ」な気分だったんだと思います。
〜次回へつづく〜(次で最後です。総まとめ的なことを書きたいと思います)
本のタイトルを「トレモロ」という言葉に決めたあとに作った作品です。表題作として、本全体の雰囲気を象徴するようなものをと思い書きました。
「トレモロ」を作ってから「トレモロ」という言葉を頭の中で言いすぎて、ゲシュタルト崩壊ぎみになってしまっています。もはや自分の名前と同じくらいに「トレモロ」に愛着を感じています。たぶん今ここで「トレモロ」を連発していることで、これを読んでいるあなたも「トレモロ」が「トレモロ」に見えなくなってき始めているのではないでしょうか。ここまでの6行足らずのあいだに「トレモロ」が8回も登場しています。ぼくは「トレモロ」という文字を見るだけでなく心の中で唱えまくっているので、脳内が「トレモロ」でいっぱいになってしまいました。気が狂いそうです。「トレモロ」の飽和状態です。もう「トレモロ」を知る前の自分に戻ることはできないでしょう。
「2012年5月15日のドローイング」について。
これは入れるか迷ったのですが、表紙絵にもなっているし、絵自体がかなり気に入っていたのでおまけのような感じで載せておきました。モノクロ印刷で原画の雰囲気は著しく損なわれていますが、それは視覚芸術における逃れようのない運命ですから、むしろ異なるイメージを楽しもうと思っています。原画はここにありますが、今見ると少し鮮やかすぎて、むしろ表紙の印刷くらいに色が沈んでいる方が自分としては好みだったりします。
気付いた方もいるかもしれませんが、2012年5月15日〜17日のドローイングが3日連続で「トレモロ」に採用されています。これは意図して選んだわけではなく、たまたまこの辺りに「トレモロ」のイメージにぴったりくる作品が続けて描けていたのです。おそらくその頃のぼくは何かしらの作品の影響を受け、かなり「トレモロ」な気分だったんだと思います。
〜次回へつづく〜(次で最後です。総まとめ的なことを書きたいと思います)
by msk_khr
| 2012-08-18 23:34
| 本について