雪で思い出すこと
風呂上がりに窓を開けると、しんしんと雪が降っていた。僕は子どもの頃に札幌に住んでいたので、「今年初めて見る雪」を冷静に受けとめることには慣れている。「おや降りましたね」という感じだ。最近はむしろ喜ぶ前に「雪の降る様子」を観察してしまう。職業病なのだろうか。
とはいえ雪を見てワクワクしないわけがない。やっと本当の冬が始まった気がする。
雪に関する子ども時代の思い出は数知れない。いい思い出もあればそうでないものもある。小学5年の頃に、一度だけクラスの女の子に向かって「ブス」と言ってしまったことは今でも後悔している。
僕が通う小学校には「スキー遠足」という行事があった。学校で用意された「歩くスキー板」を身に付け、近くにあるそこそこ大きな公園まで大名行列の如く隊列を成して歩み、公園でひと通り遊んでおやつを食べたら学校に戻る、というプチ修行である。事件が起きたのはその当日もしくは予行練習の日だったと思う。
スキー板を決められた場所に戻しに行ったのち、教室に向かう途中で僕はおふざけでその言葉を放った。生まれて初めての「ブス」。突然言い放ったわけではなく、僕が何かしらその女の子にからかわれてからの返しだったと思う。しまった、と思った。僕は当時なかなかの真面目キャラだったのでそのような罵詈雑言を他人に浴びせかけたことが無く、その後の展開がどうなるかは予想することができなかった。その子はクラスの女子の中でも比較的勢力の強いグループにいたが、鼻の下にホクロがあり男子からは度々からかいの対象になっていた。「ブス!」と言った直後に場の空気が一瞬凍りつく・・・かと思いきや、その子はまるでつい先ほども他の男子に同じことを言われたかのような慣れた調子で、「ムカツクー!」と笑いながら僕の左腕をはたいてきた。そのあとの記憶は無い。誰にも知られず僕だけが凍りついていた。驚きと安堵感。その時の映像が氷となって固まって、海馬の中に放り込まれたままずっと解けずに残っている。しばらく胸がざわめいていた。明るく振る舞われたことがかえってショックだった。人を傷つける言葉を使って自分が落ち込むとは思っていなかった。
小学6年になる時に転校することになり、僕はその子に謝ることなく札幌を離れた。10年以上経った今、きっと向こうはあの時のことなんてほとんど覚えていないだろう。けれど僕は今でもあの一言を悔やんでいる。この文章を読んでいる可能性は1億分の1くらいだけど、この場を借りて謝りたいと思う。
◯◯さん、ごめんなさい。名前忘れました。
とはいえ雪を見てワクワクしないわけがない。やっと本当の冬が始まった気がする。
雪に関する子ども時代の思い出は数知れない。いい思い出もあればそうでないものもある。小学5年の頃に、一度だけクラスの女の子に向かって「ブス」と言ってしまったことは今でも後悔している。
僕が通う小学校には「スキー遠足」という行事があった。学校で用意された「歩くスキー板」を身に付け、近くにあるそこそこ大きな公園まで大名行列の如く隊列を成して歩み、公園でひと通り遊んでおやつを食べたら学校に戻る、というプチ修行である。事件が起きたのはその当日もしくは予行練習の日だったと思う。
スキー板を決められた場所に戻しに行ったのち、教室に向かう途中で僕はおふざけでその言葉を放った。生まれて初めての「ブス」。突然言い放ったわけではなく、僕が何かしらその女の子にからかわれてからの返しだったと思う。しまった、と思った。僕は当時なかなかの真面目キャラだったのでそのような罵詈雑言を他人に浴びせかけたことが無く、その後の展開がどうなるかは予想することができなかった。その子はクラスの女子の中でも比較的勢力の強いグループにいたが、鼻の下にホクロがあり男子からは度々からかいの対象になっていた。「ブス!」と言った直後に場の空気が一瞬凍りつく・・・かと思いきや、その子はまるでつい先ほども他の男子に同じことを言われたかのような慣れた調子で、「ムカツクー!」と笑いながら僕の左腕をはたいてきた。そのあとの記憶は無い。誰にも知られず僕だけが凍りついていた。驚きと安堵感。その時の映像が氷となって固まって、海馬の中に放り込まれたままずっと解けずに残っている。しばらく胸がざわめいていた。明るく振る舞われたことがかえってショックだった。人を傷つける言葉を使って自分が落ち込むとは思っていなかった。
小学6年になる時に転校することになり、僕はその子に謝ることなく札幌を離れた。10年以上経った今、きっと向こうはあの時のことなんてほとんど覚えていないだろう。けれど僕は今でもあの一言を悔やんでいる。この文章を読んでいる可能性は1億分の1くらいだけど、この場を借りて謝りたいと思う。
◯◯さん、ごめんなさい。名前忘れました。
by msk_khr
| 2011-02-09 02:03
| 日々のこと