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memo

漫才師になりたかったことは一度もない

 明日はM-1準決勝だ。マヂカルラブリーを知ったおかげで今年は初めてM-1グランプリの結果を気にしている。
 準決勝では両国国技館で何千人かの前でネタを披露しなければならない。すさまじく緊張することだろう。自分が漫才師じゃなくて良かったと心底思う。もし僕が漫才師だったらきっとM-1にエントリーしている。美術界でいうところのアートコンペみたいなものだ。自分の思い描く将来像にたどり着くために、そこでグランプリを取る必要があると感じたら、迷わずその道を選択するはずだ。しかし僕は人前に出ることが大嫌いである。

 「本番がない」ということが絵の魅力のひとつだと思う。高校時代、吹奏楽部に所属していた僕が気付いたのは、音楽や演劇などの時間芸術は自分にあまり向いてないということだった。もちろん楽器を演奏したりみんなで合奏することは楽しいものだった。自分たちで創作した音楽劇は宝物だと思っている。地元の市民ホールで開催した定期演奏会でお客さんからもらった最後の拍手は、鳥肌が立つほど気持ちのよいものだった。
 けれど演奏家や役者になっている自分を想像することはできなかった。器用な方だったからある程度のところまではこなせたが、この道の一流にはなれないだろうと感じながら僕はクラリネットを吹いていた。自分がやるんだったら、どうせならもっと向いている人がやった方がいいと思った。自分よりもっと上手くできる人がいる。本番前の緊張感も全部ひっくるめて、すべてを心から楽しめる人にプロになってもらうべきなのだ。自分には他の役割があると思った。
 
 僕は定期演奏会のパンフレットの表紙のイラストを描いたのだが、自分の絵が印刷されてお客さん全員が手にしているのを見た時の気持ちがいまだに忘れられない。幸福感で心臓がドキドキしたのはそれが初めてだった。初めて自分がこの世界に存在を認められたような気がしたのだ。もし自分の画集が出版されたならどんなに幸せなことだろう。僕は画廊で展覧会を開くより、早く画集を出したいという気持ちの方がどちらかといえば強い。画廊での展示はどうも馴染めない。作家や常駐の人がその場にいるのが嫌なのだ。「絵を見ている自分を見られている」という認識が鑑賞の邪魔をする。作品の世界に没頭できなくなる。自分の部屋で1人で見る、というのが僕の最も理想とする作品の鑑賞スタイルだ。

 表現をしたいと思うようになってから、何によって表現するかということをずっと考えてきた。音楽の道はあきらめた。漫才はもっと向いていないだろう。たどり着いたのがリトグラフだが、それ以外の表現は絶対にしないと決めたわけではない。10年足らずで人の気持ちや環境はずいぶん変わってしまう。とりあえず僕が現時点で決めているのは、「本番がない表現をする」ということだ。部屋で地道に作品を作って、極めて静かにこの世界に提出したい。

 そんな静寂至上主義の僕がなぜマヂカルラブリーの漫才にはまったのか全く不可解だが、僕はきっとそこに自分を見たのだ。彼らもある意味僕の夢なのである。漫才師になれなかった僕の代わりに、ふたりは一流の芸人を目指してくれているのだ。
 マヂカルラブリーが本気で漫才をしているから、僕は彼らとは別のことに本気で取り組むことができる。新しい作品の構想を練るために、僕は下絵用のノートを静かに開いた。
by msk_khr | 2010-12-11 23:50 | 日々のこと