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memo

お通夜

 緊張の度合いに比例して滑舌が悪くなる僕は、「このたびはご愁傷様でした」という大事な台詞でさえ噛む自信がある。
 先日、ある人のお通夜に出席する機会があり、張りつめた気持ちで式場へ向かったのだが、内心僕はその言葉を発するタイミングにぶつからないことを切に願っていた。「ご愁傷しゃま」と言ってしまうことを恐れていたのではない。それ以前に「こぬたび」となる可能性があった。失礼すぎると思った。
 必要以上に身構えていたが、結局お香典を渡す際に受付の人になんとなく言ってみたら普通に言えた。前日の夜にパソコンの画面に向かって「このたびはご愁傷様でした」と7、8回唱えた甲斐があったと思った。
 
 亡くなられたのは仕事関係の方で、僕自身は一度も会ったことのない人だったが、お焼香の順番を待ちながら読経を聴いているうちに妙な気持ちになった。胸がいっぱいになったという表現が一番近い。それは結婚式に出席したときに感じた気持ちに似ているような気がした。

 昨年の春に大学の友人が結婚し、彼女らの結婚式に僕は招待された。式のクライマックスで新郎新婦の友人たち15人くらいが太鼓を持って登場し、サンバの演奏をするという余興があった。サンバ演奏は僕らの大学の芸術祭で毎年行われる恒例行事で、酒に酔った大学生が音楽に合わせて踊り、汗とともにストレスを発散するというイベントだ。
 その時も大量の打楽器から生み出される大音量のビートによって、すべてを忘れて踊りましょう、という空気が室内に充満した。リズムに合わせて体を動かすことが絶望的に苦手である僕は、直立したまま手拍子をしていた。すると突然、「みんな、踊ってー!」という声とともに新婦の母親がサンバ隊の輪の中に躍り出てきた。その人は笑顔だったけれど、それは次の瞬間には泣いてしまいそうな笑顔だった。横に目をやると、父親の方はぎこちない動きで一生懸命からだを縦に動かしていた。踊るなんて30年ぶりとでもいった具合だ。ダンスというよりほとんどジャンプだった。これがその場所とその時間でなかったら、ひどく滑稽に見えたかもしれない。しかし僕の目にそのお父さんはかっこよく映っていた。
 爆音のせいか、まるで時間が止まっているかのような感覚に陥った。大声を出しても隣りの人にすら届かないだろう。演奏がいつ終わるのかは誰にもわからなかった。踊る両親の姿がなぜか、娘が嫁いでいってしまうのを止めようと必死にもがいている人のように見えた。しかしもうこの結婚式を止めることはできないのだ。そう思うと不意に、目の後ろ側に熱いものがこみ上げてきた。たまらず僕もぎこちなく踊り始めた。

 お通夜と結婚式が似ていると思ったのは、読経とサンバが重なったためだ。式場では読経が途切れなく続いていた。残された人たちには少し立ち止まって考えたいことがあるというのに、そんなことはおかまいなしに経文は川のように流れていく。それは聴く人それぞれがいろいろなことを思い出す時間だった。みんな何かを思い出しながら、誰にも言わずに黙っていた。
 
 自分や、自分の周りにいる人たちが死んだときのことを一人ひとり想像してみたことがある。帰りの電車に揺られながら、とにかく少しでも長く自分の人生を親に見せてやりたいと思った。
by msk_khr | 2010-10-20 02:04 | 日々のこと